阿比太神社

ご由緒

阿比太神社

 当神社は延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳に名を載せる式内社であり、御祭神に素盞鳴尊(すさのおのみこと)お祀りしている。応神天皇2年の奉祀なりと伝えられるが確かな文献は存在しない。しかし、続日本後紀の記載によれば「仁明天皇嘉祥3年正月従五位下を授かり給う」とあり、また延喜式神名帳には大、月次、新嘗の際に案上の官幣を賜わった大社であることが記されている。

 古くは牧之荘の大宮と称し、また仏教では素盞鳴尊を牛頭天皇(ごずてんのう)と同一であると説いたので神仏習合の時代におこった牛頭天皇の呼称も当神社の社名として存していた。

 近世には豊島郡内の大宮として上下の尊崇最も厚く、領主、阿部摂津守は代官水原勘右衛門をして幣帛を併進し、折々社参したことを載せる旧記が存する。元禄5年10月の吟味帳によれば「半町村、桜村、新稲村より火とぼし掃治人1年替りに勤め来り候」と記されている。

 御神徳としては文学、武道の守護神、また悪疫、旱魃に誠にもって霊験灼かな神として往時より尊崇厚き神社である。

 境内地は約2500坪、現在の御社殿は昭和50年11月に竣工。三方に半町、桜、新稲の参道を有する。

御祭神

素盞鳴尊(すさのおのみこと)

 素盞鳴尊は天照大神の弟神であり、性勇猛にして八岐大蛇(やまたのおろち)退治をなし、雨や雷を掌る農業神として、また短歌の起源となる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに、八重垣作るその八重垣を」のうたを詠んだ文学神としてひろく尊崇される神様である。